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きんのり丸

東京湾で漁師生活するきんのり丸(漁船の名前から付けました)です。
木更津生まれの木更津育ち。冬場は海苔養殖業で夏場は採貝漁(アサリ・バカガイ)を営みます。
昭和34年8月18日生まれ。約30年間の漁師生活です。

幼少時代から中学時代まで無口で赤面症で・・人前での自己主張は出来なくて悩む。特に女の子とは話が全然出来なかった時代を過ごす。幼少時代の遊びのフィールドは近くを流れる小櫃川河口から盤洲干潟。川ではテナガエビやウナギを手掴みで捕り、どぶでミミズを捕まえハゼ釣りをして遊ぶ。海では夏は親の船に乗ってアサリ漁の手伝いしたり、冬は学校から帰るの海苔干しの手伝いして、流れる海苔を拾ったり漉いてもらったり・・・遊びと言うよりバイト生活。丘では、木の上・地下・ススキ原に仲間と秘密基地を作ったり、クワガタやカブトムシを探すために日が明ける前から自転車で村中を走り回る。遊ぶ事には不自由はしなかった少年時代を過ごす。
初恋は中学3年(笑)初めてバレンタインチョコ(萩原健一がCMしてた明治製菓のデュエット)を手編みのマフラーと一緒にプレゼントされる。嬉しくて火の見櫓(ひのみやぐら)に登って見た夕日は今でも記憶の奥に残る。

地元幼稚園をなぜか?半年で卒業。地元公立小学・中学と見事卒業して下り電車で4駅先の田んぼ中の公立商業高校に進学。中学から高校と6年間も暗いと言われるスポーツ部に所属もパッとしない。練習は人一倍するもアガリ症が治らなく試合で勝てなく、体育館の天井にて紫の煙を立てる。そんな高校3年の時に彼女と学校サボってロッキーをセントラル映画館で見た帰り、ランバージャックをふかして街中歩いているところを先生に見つかる。

翌日・・担任の先生に呼び出し喰らい自主退学を勧められるが、何とか絶えて高校を3年で卒業。成績優秀だった為に進学もできず、就職目指すも進路指導の先生がさじを投げる。仕方なく家業の漁業を継ぐ事に・・しかし、一度は社会に出たいと思い、スポーツ新聞の求人欄で見つけた東芝関連の会社を選び面接試験を受ける。周りを見渡すと皆さんグレーのスーツの中で、私だけが上下真っ白なジャケットパンツ姿(靴下だけは真っ赤)・・それでもなぜか合格し千葉の街中で行われた歓迎会がカニ食い放題のお店!初めてズワイカニ1杯丸ごと食べるも、すぐに田舎の漁師町(鴨川本店から富津支店へ)の電化販売店に出向する。その店の周りには高校時代の同級生や先輩がいっぱいいた(笑)当時通勤に使っていた車はギャランGTO(中古車)でした・・18歳〜19歳の話です。


約半年間の営業を真面目にこなすも・・対人関係に嫌気が差して退職。
再度漁師に戻るも家を継ぐ決断が付かなく・・失恋の痛手から(知床に向う時にはすでに新しい彼女がいたのですが・・)北に行こうと決心、知床ウトロに1ヶ月ちょっとのバイトに旅立つ。初めての共同生活を過ごす。大きなヒグマに餌をやったり、小熊のサツキちゃんの散歩をさせたり、トドを冷蔵庫に運んだり、民宿で布団の上げ下げ、夜はバスの運ちゃん・添乗員の接待して、売店にて髭を生やしてアイヌ人を装い木彫りの熊を売る。地元の若い漁師とも仲良くなる。何処に行っても漁師がまとわり付く。ウトロの丘の上にあるホテルまでの歩く坂道から見える夕陽に感動する。短いながら楽しい経験をした青春時代ですが・・知床から帰った時点で又その時の彼女にふられてしまう。

家を継ぐ決意をやっとするが20歳頃の話です。青年団・消防団と地元と融合しながら馴染んで行く。しかし、まだまだ若い身の上・・夏場は浜でアサリ漁!午後は房総方面の海でナンパ生活。五井や姉ヶ崎のスナックで飲んで歌って踊っては九十九里や白浜の海岸で遊んで家に帰らない事はしばしばで・・ひなびた地元ディスコ前に江戸一製の甚平を着て通ったり。1週間に2〜3日仕事すれば1週間は遊べた豊穣の海でした。そんな時代に今は亡き母から「もう青春は終わったぞ」と言われショックを受ける。そんな生活を2年間程度過ごして23歳の時に妻と出会い24歳の時に結婚!・・を期に仕事一本の真面目な漁師に変貌する。

その後こんなポンコツ英車に乗りながら二人の娘を何とか育てながら30才代後半まで夏はアサリ漁。冬は海苔養殖とガムシャラに働き続ける。

38歳の時に一念発起。いくら頑張っても、美味しいものを価格評価されない現状を打破するために、パソコン(NECバリュースター)を出先で衝動買いしてしまう。人に教わるのが苦手で自己流でホームページを開いて直販(ウェブショップ)始める。当時は「海苔なんてインターネットで販売しても、インターネットやってる世代が海苔やアサリなど買うわけが無い」と漁師仲間から、家族から非難を浴びる。でも当時は一次産業・特に漁師の直販は珍しく多少注目を浴びる・・特に「美味しい」と評価を受けて序々に広まり軌道に乗る。3年後には目標の売り上げを達成。先見の目が有ると自画自賛(笑)

42歳頃から仕事の無理が祟ったのか首に異常をきたす。頚椎が変形して脊髄が圧迫され手足が痺れ頭痛がひどく寝られなくなって医者に行く。「体の使う仕事はやめた方が良い」と言われ、手術を勧められるも「手術成功の確率は5割」と脅かされる。思案の結果・・・その医者には2度と行かないと決意。他の病院や整体・鍼治療と行うも改善されないままに漁師生活を続行する。
現在46歳(平成17年8月で)まで病状は悪化しないで済んでます。『病は気から』と思う。
44歳頃・・NPO法人に興味を持ち平成16年に漁師仲間に声をかけて『里海の会』を立ち上げる。立上げから約1年間に活動が認められ朝日新聞・東京新聞の1面等々に紹介されたりする。そして現在に至る。本業は東京湾の漁業です。その他にもウェブショップ運営やウェブデザイナー、NPO法人理事長とこなす生活です。忙しくともお金には縁の無い生活がいまだに続く。
【追記】
49歳の春に頚椎の症状が悪化して海苔養殖を休業する。暫くの間は体力を使う力仕事から退く。
「盤洲里海の会」 解散後に「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」発足・解散し、「(株)エンジョイ・フィッシャーマン」設立に関わる。

53歳の冬に交通事故に遭遇し頸椎の症状が悪化し手術後リハビリ生活。
後縦靭帯骨化症の持病アリ・・・

56歳の2016年6月に初孫が産まれじいじになりました!

2011年4月から2012年10月までかずさエフエムでラジオパーソナルティー参加
2013年6月から中央エフエムでラジオパーソナルティー参加中(2015年9月現在)

■人生60年!それまでは全力失踪?(笑)〜横道や脇道が好き!
■悪い事もあれば良い事もある。『人生プラスマイナスゼロ』と肝に銘じて生きています。
■好きな言葉は『起きて半畳寝て一畳』
■影響を受けた本は小学時代の夏休みに読んだ井上靖著「あすなろ物語」
■人の上に立つのもリーダーシップを取るのも苦手な性格です
■人の話は聞きますが、自分が経験・実践した事しか信じない頑固な部分もあります
■苦手はにょろにょろの蛇と既成概念に縛られたり、言い訳ばかりする人間。それと読書も・・
■嫌いな言葉『がんばろう』好きな言葉『楽しもう』
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